幸せについて
私は高校生、大学生が考えそうなことをよく考える。
優しさについて
恋愛について
幸せについて
こういったことの帰着点は基本なく、
あるとすれば、「誰かとの比較」でしかない。
私にとっての幸せは何か。
大きな声で、笑顔で笑う時より
心が穏やかで水面が平らな時。
1人と誰かとのバランスがちょうどいい時。
大切な誰かの幸せを感じた時。
誰かの優しさを感じた時。
幸せの持続性について、
それはとてもとても弱く感じる。
1日を幸せだと感じて帰路についても
誰かの態度や言葉で一瞬にして霧散する。
でも、遠い日の思い出で思い返せるものは幸せな思い出ばかりかもしれない。
小学生の私はカウンセラーになりたかった。
対話をすることで誰かを苦しみから解放できるなんて、なんて素敵なのだろうと思った。
その、苦しみを抑えたい、そう思って弁護士を夢見た。けれど法廷は対峙の場で、誰かを傷付けると気が付いて、警察官に変わった。
警察官は法という正義に則り、その人の感情には添えないと気が付いて、しばらく夢は抱かなかった。
高校生になって、私の高校生活は「文章」によって彩られ、人生を変えてくれた教師に憧れた。きっと子どもの頃に、きちんと向き合ってあげれば不幸な人はいなくなる!と思った。
あれやこれや色々あって、教師にはなれなかった。私は自分のやりたいことは何も無いから、就職活動をするのにも困った。音楽、本、文具、花、星…好きなものを扱っている場所なら良いのでは…そう思ったがいまいちピンと来なかった。
そして出会ったのが人事という仕事。
目に映る人全てが幸せに働ける環境を作りたい、そう思った。今もそう思っている。
こんな壮大なストーリーの裏で、わたしは人はきっと幸せになれないと思っている。
胸がはち切れそうな夜、永遠に幸せを掴めないことを不幸と言うのなら、ここで全て終わればいいのにと思うことがある。
それでも、私は誰かの一言で
簡単に幸せになってしまうし、
はたまたどん底に突き落とされて、
ながくながく幸せについて考えるのだろう。