秘密 と 思想

秘密ってとても素敵じゃないですか?

 

自分の内に秘めたい、他人には触れさせたくない何かがあるということなので。

 

きっと秘密がある人は、

一気にドン!と全部知るのではなく

1枚1枚花弁を剥がす様に知っていきたい。

そして多分何も無くなった時、

その人を大好きになる。

 

好みのタイプはまっすぐな優しさのある人なんだけど

友達になりたいのは秘密の多い人。

 

 

そしてここから全く別の話。

今日、同期が

「自分が選んだ冷やし中華だから美味しいけど、誰かが買ってきてくれたら多分そうでもない」

と言った。

それは私の思想とは完璧に真逆で、

衝撃を受けた。

 

友人が、他の友人と同じ会社に入ることになった。

私が冗談で「私もそこに入る!」と言ったら、

「うちは、人を見捨てられる人じゃないと入れないよ」

と言われた。

 

とてもいい人だと思っている人と帰っていて、当たり前にその人は優先席に座った。

 

これは秘密の話だけれど、

私はとてつもなく自分思想哲学が強く頑固なので、

1日に理解できないことが多発して衝撃を受けた。

 

本当に思ったことを書いただけ。

幸せについて

私は高校生、大学生が考えそうなことをよく考える。

優しさについて

恋愛について

幸せについて

 

こういったことの帰着点は基本なく、

あるとすれば、「誰かとの比較」でしかない。

 

私にとっての幸せは何か。

大きな声で、笑顔で笑う時より

心が穏やかで水面が平らな時。

1人と誰かとのバランスがちょうどいい時。

大切な誰かの幸せを感じた時。

誰かの優しさを感じた時。

 

幸せの持続性について、

それはとてもとても弱く感じる。

1日を幸せだと感じて帰路についても

誰かの態度や言葉で一瞬にして霧散する。

でも、遠い日の思い出で思い返せるものは幸せな思い出ばかりかもしれない。

 

小学生の私はカウンセラーになりたかった。

対話をすることで誰かを苦しみから解放できるなんて、なんて素敵なのだろうと思った。

その、苦しみを抑えたい、そう思って弁護士を夢見た。けれど法廷は対峙の場で、誰かを傷付けると気が付いて、警察官に変わった。

警察官は法という正義に則り、その人の感情には添えないと気が付いて、しばらく夢は抱かなかった。

高校生になって、私の高校生活は「文章」によって彩られ、人生を変えてくれた教師に憧れた。きっと子どもの頃に、きちんと向き合ってあげれば不幸な人はいなくなる!と思った。

 

あれやこれや色々あって、教師にはなれなかった。私は自分のやりたいことは何も無いから、就職活動をするのにも困った。音楽、本、文具、花、星…好きなものを扱っている場所なら良いのでは…そう思ったがいまいちピンと来なかった。

そして出会ったのが人事という仕事。

目に映る人全てが幸せに働ける環境を作りたい、そう思った。今もそう思っている。

 

こんな壮大なストーリーの裏で、わたしは人はきっと幸せになれないと思っている。

胸がはち切れそうな夜、永遠に幸せを掴めないことを不幸と言うのなら、ここで全て終わればいいのにと思うことがある。

 

それでも、私は誰かの一言で

簡単に幸せになってしまうし、

はたまたどん底に突き落とされて、

ながくながく幸せについて考えるのだろう。

私とギター

私とギターは不思議な関係だ。

 

初めて触ったのは中1の誕生日。

中学で軽音部に入ったから弾いてみたくておねだりして買って貰った。

Fは難しいと聞いていたのに簡単におさえられて、「才能あるかも!?」って勘違いしたけどCがおさえられなかった。

 

結局、中学3年間は、ギターの子が1人で弾きたい子だったからそんなに弾かずに終わった。何故かイケナイ太陽のギターは弾いた。

ギターよりもベースが楽しかった。

 

高校に入ったらめちゃめちゃギターの上手な子と、もう1人の子と2人ギタリストがいたから弾くこともなかった。

途中、別のバンドのギターの子が受験でいなくなってギターを弾くことになった。

それがきっかけで、スリーピースを組んだ。同じ音楽が好きな子とバンドを組んで、ギターが好きになった。女の子3人でblankeyとかBeatlesをやった。

大学ではその2人とオリジナルもやった。

 

大学4年間が1番ギターを弾くのが楽しくなかった。めちゃめちゃギターの上手な人と付き合って、恥ずかしくて「関係性」の為に弾くのをやめた。

でも、大学3年の新歓でスリーピースを組んで、本当に沢山練習をして、初めて人にギターを褒められた。嬉しかったなあ。

 

その人と別れて、沢山の感情を知ったけど、またギターを弾くのが楽しくなった。

優しさとか機会に恵まれて新しいかわいいギターがやってきた。

今年の冬には頑張ってギタボをしてみたら、褒めて貰えて嬉しかった。ギターを褒められたのは2回目だった。そして初めて上手くなりたいと思った。

 

 

何故かギターを弾く人ばかり好きになるし、何故か毎日ギターを弾いてしまうし、でも何故か向上心は無い。

それでも今が1番ギターが楽しいし、好きかもしれない。

 

私とギターの不思議な関係。

私のある気持ちのはなし。

私の目ってまだまだ機械に劣らない。

 

視力のさして良くない私でも、

澄んだ夜空に星が瞬くのを見つけられるのに、写真にはおさまらない。

でも残すことは出来ない。

 

今日は会社で本当に嫌な瞬間があって

絶対辞めたる!

と思いながら仕事をした。

そんな自分がすごく悲しかった。

辞めると思いながらその仕事をする時間の悲しさってすごい。

 

今日はもうひとつ、

高校生の頃に書いた小説を載せようと思う。

昨日掘り返した本当に短いもの。

きっとこれまでもこれからも続く、

無くなることの無い、

ある気持ちの話。

高性能な私の目と、

私の時間と、

ずっとずっと消えないもの

全てに連なる気持ちの話。

 

 

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冬の白い花

 

 

ふと、窓の外を見た。

震える木の枝の、その先に小さな花が降り積もっていた。

誰かが気が付いたその光景に、簡単に教室中が伝染していって、誰もがいつの間にかそこを見つめていた。そんな中、私だけはほんの少し視線をずらして、いつもと同じ横顔を盗み見た。そして、いつもと同じ様に、組んだ腕に頭を沈めた。

授業が再開した教室の中に、窓の外の小さな音が聞こえる。私の脳に、あの横顔と、小さなその音だけが大きく大きく響いた。

 

「藤村」

そう声をかけてきたのは担任の先生。私をよく知る担任の先生。

「大丈夫か?」

そう言う声に頷き返す。頷きながらも私の頭の中にはどんどんとあの花が積もっていく。大丈夫、その言葉にどれだけの意味が込められているんだろう。その優しさに触れた私は「大丈夫」になる。そして、静かに去っていく足音に、脳は再び支配権を失っていく。白、白、どこまでも白。

私の心の内は、いつからだっただろう、常に白に支配されている。頭の中がそうでなくても心はいつも白かった。何も無い、そう見えて、ここには見えない程のものが溢れている。溢れて溢れて私は「大丈夫」じゃなくなってしまう。そんな時、いつもあの横顔を見つめる。教室の誰とも違う、その心がその姿に映っている様で、それがまるであの白い花の様で。

 

顔をあげて教室を見渡す。微かに白さを湛えたこの部屋に私は精一杯孤立する。その白さに溶けきらないように、孤立する。

それでも、彼等と同じ白い花を見つめる私は、きっと「大丈夫」。

 

春と冷水

冷という字、2つの書き方がある。

令 と 今。

私は今の字の方が好きだ。

きれい という言葉はとても難しい。

綺麗 はとてつもなく《綺麗》だけれど、

少しだけ豪奢に感じてしまう。

かといって、 キレイ は少し安くて、

仕方なく きれい と、

少しそぐわない表現をする。

私はちょっとだけ、

文字が気になる人なのだが、

こうして見る文面とは全く異なる人らしい。

社会人になって、

メールでやり取りした人と会う機会が増えた。

そうして会った大体の人は、

「柔らかい方なんですね」

と驚くことが多い。

きっと、現実の私は、

文面上の私より、もっと、 わたし に近い。

わたしと私が近づく様に。

そんなブログ。

ちなみに 春と冷水 は、

春の冷水は格別にきもちがいい

と思っただけ。